地元カンパニーを経由した人〜宮木慧美さん編〜

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「将来地元でがんばるぞっ」と思っている方へ

地元カンパニーを通過して、地元・長野県で暮らしている宮木慧美と申します。私もみなさんと同じように「地元でがんばるぞっ」と思っているひとりです。大学進学時、「こんな田舎、二度と戻ってこないから!」という捨て台詞とともに上京した私が、どうして地元に戻ってきたのか…それは、地元カンパニーと出会ったからに他なりません。「地元カンパニーを経由して地元に戻る」という選択肢、アリだと思います!

【地元カンパニーとの出会い】
2013年6月。都内の広告制作会社で働いていた私は悩んでいました。あんなに憧れていた東京・仕事・生活のはずなのに、何かが違う。ずっとこの街で暮らすことも、働くことも、子育てをすることも全然想像ができないけれど、じゃあ、どこにいけばいいの?

そんなモヤモヤした気持ちを抱えている時に「信州若者1000人会議 社会人ボランティア募集」の記事を目にしました。どんなイベントなのかよくわからないけれど、何だか面白そう、地元で何かやっている人に会えるかも。そんな軽い気持ちでイベントに参加→打ち上げの席で児玉さんに悩みを打ち明け→地元カンパニーへの転職が決まりました。あんなに悩んでいたのが嘘みたいに、「いますぐ長野に帰る!」という決断ができたのは、児玉さんをはじめ地元でガシガシ活動している魅力的な人に出会えたからだと思います。マイナビ転職やdodaを眺めてばかりいないで、まずは地元にいる人・Uターン転職した人に会ってみることをおすすめします。

※信州若者1000人会議=2013年6月29日に渋谷ヒカリエホールにて約700名の信州人を集めたイベント。地元カンパニーが運営していた。

【地元カンパニーで獲得したこと】

2013年の秋から地元カンパニーに所属し、「自分が何屋さんか分からない!」と思うほどたくさんの経験をさせていただきました。(私が担当していたのは、カタログギフト事業の取材・執筆、Uターン支援事業のメディア編集・キャリア教育事業の立ち上げ・イベント運営など)
約3年間の在籍でしたが、地元カンパニーで獲得したことは数え切れないほどあります。私にとっては、「地元でどうやってビジネスをするか」というノウハウ的なことよりも、人との出会いやとにかくやってみるという姿勢、課題への向き合い方など、自分の人生をどう使うか?みたいなことを考えたり試したりし続けた3年間だったような気がします。そんな当時を思い出して、特に印象に残っている3つの「児玉語録」をご紹介したいと思います。(事業内容や組織体制が現在とはだいぶ違うと思うので、どれだけ参考になるか分かりませんが…)いま思い返しても、私自身の軸を強化してくれる言葉ばかりをもらった3年間でした。

◎じゃないと地元がなくなっちゃうぜ?
地元に対して、ある課題意識を持っていたとして、その課題を「なんとかしよう」と思う人はどれほどいるのでしょうか。人口が少ない地域やビジネスに繋がりにくいニッチな課題であればあるほど「なんとかしよう」と思う人は少ないはずです。「課題に気づいたのにやらないのは罪。」と児玉さんは言っていたけれど、地元カンパニーの事業の根幹にはこの想いがあるのだと思います。
「地元のために私がなんとかしなきゃ」なんておこがましいことは考えていないけれど、「誰のために働くのか」「どんな未来を描きたいのか」ということを強烈に意識するようになったのは、地元カンパニーを通過したからこそです。

◎勉強とか経験とか言ってないでやってみる
「やったことがないからできません」「もっと勉強してからやります」そんなことを言って、やりたいことを先延ばしにするのがどれだけ勿体ないことかも、地元カンパニーで学びました。
勉強にも経験にもゴールなんてないんだから、とにかくやってみる。やる。やる。やる。失敗も不安もあったけれど、それこそが最大の学びと経験になりました。「また、無茶振りを…」と思うこともあったけれど、よくよく話すと明確な目的とブレない軸があって、達成する意義をきちんと見せてくれるのが児玉さんでした。人生の転機となるようなチャンスもたくさんもらい、現在のキャリアに大きな影響を与えています。

◎良き人生を
当時の地元カンパニーでは児玉さんとの面談が頻繁にありました。そこで投げかけられるのは「どんな人生を歩みたいのか」という問い。組織の中での目標設定ではなく、個人の人生やキャリアにおける“今”と“これから”を問われる時間でした(この面談が、児玉さんらしいなーといつも思っていました)。
そしてその人生に近づくための方法を一緒に考え、事業の中で試せる機会をたくさん与えてもらいました。児玉さんは「地元カンパニーは踏み台カンパニー」なんて笑っていたけれど、社員の人生に心を寄せて、その先のことまで一緒に考えてくれるってほんとにすごいことだと思います。そして退職時のはなむけの言葉が「良き人生を」でした。

【私も「地元でがんばるぞっ」】
地元カンパニーを経由した私は、ライター・キャリアコーディネーターとして独立しました。Uターンしたい・した女性にフォーカスした「鮭女の会」の活動も地元カンパニー時代の仲間たちとともに行なっています。

地元に戻って思うことは、Uターンがゴールじゃないということです。正解もお手本もない手探り状態ですが、目指すべき“良き人生”に向かってもがいています。地元カンパニーに所属していた当時ほど「地元のために」みたいな気持ちは大きくないけれど、これから先もずっと長野で暮らしていきたい、がんばりたい。そしてここに暮らすひとりひとりの“良き人生”に寄り添える人になりたいと思っています。

「将来地元でがんばるぞっ」と思っているみなさん、Uターンやキャリアのご相談に乗りますよ!鮭女の会のイベントでも色々とお話できますよ!(5月に開催予定です!)地元カンパニーを経由した人が、日本全国津々浦々にいたらとっても楽しいことになりそうです。地元カンパニーを経由してみることが、あなただけの“良き人生”を豊かにしてくれるかもしれません。

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