地元カンパニーを経由した人〜近藤貴馬さん編〜

求人

はじめまして。
京都で創業90年の八百屋をやっております、
西喜商店の近藤貴馬と申します。
大学卒業まで地元の京都にいましたが、就職のために上京、その後家業の八百屋を継ぐためにどうしようかと悩んでいた時に地元カンパニーと出会い、「2年後に八百屋を継ぐので辞めたいですけど雇ってください」という割と良くないお願いにも関わらず雇ってもらいました。
雇用期間は2013年5月〜2015年4月です。

今はこのような八百屋を京都でやっています。
家族経営の八百屋です。
https://nishikisyouten.com/


地元カンパニーにいる間にやった仕事の大半は現在の地元カンパニーの主力事業である「地元のカタログギフト」の営業活動です。
営業活動と言っても、創業2年目でしたので決まった仕事があるわけではなく、とにかく事業を広げるためのことは全部やる、です。最初はバイトが急遽いなくなるような事件もあり(なつかしい)日々の運営業務はもちろん、そもそもどうやって広げるの?という仕組みづくりのところまで。
まさに「ベンチャー企業」という感じでしたね。



地元カンパニーとの出逢い

話せばとても長い地元カンパニーとの出会いですが、僕の場合は、地元カンパニーの名前がない頃、セガレ・セガールという団体を運営していた児玉さんと出会うところから始まります。(地方から上京してきた若者(農家の息子、娘)が月一で実家の野菜や果物を取り寄せてマルシェをするおもしろ団体)。
順風満帆ではなかったサラリーマン生活を打開するため、(組織の歯車の中では自分らしさを発揮できずもがいていた頃)家業の八百屋を継ぐことを思い立ったものの父親からの猛反対に会い人生どん詰まり。大いに悩んでおりました。
※この辺りの詳細は自分のブログに記録しています。
http://nishikisyouten.hatenablog.jp/entry/2013/05/06/000000


そこでググったのが「八百屋 面白い」(だったはず、たしか)下の方にスクロールして出てきたのが、「セガレ・セガール」デザインかっこいいし、なんか会社じゃないから転職せずに野菜に触れられそうだし、これは良いのではと直感で思いました。
そしてパッと見は怪しくもあるし宗教っぽかったら帰ろうと思って行った説明会。
そこで児玉さんと出会いました。

第一印象は、「任意団体なのに金の話ばっかりすんなこの人」
(会費取ったり、高値で売ることを推奨したり)

ということで、僕の中では信用できる人だ、となりました。
みんなで仲良く和気あいあいとやりましょう、みたいなノリだったらやめてたと思います。伝わりますかね、この感覚。
みんなで社会に一発かましてやろうぜっていう、野心みたいなものが会社になる前からずっとあったんですよね。
活動中も胡散臭いことは一つも言わず、ひたすらに地元のためにやるんだ、と、今私の眼前にありパイナップルの葉のように全方位的に尖っていた児玉さんは来るものは一部拒みつつ去る者は追わないし、感覚が近い人しか残らないので、セガレ・セガールはとても居心地のよいコミュニティでした。
その後とあるタイミングでカタログギフトのプロトタイプができて、2012年に児玉さんと創業パートナーであるデザイナーの名古屋敦さんと二人で地元カンパニーを立ち上げられるわけです。
その間も月に一回のセガレ・セガールの活動に欠かさず通っていたのですが、地元カンパニーっていうのはよくわかんないけど面白そうだな〜と思っていたその年末に、facebookで求人募集の児玉さんの投稿が流れてきまして、これはもう行くしかないだろうと思い立ち、冒頭に書いた無茶な条件をお願いすることになりました。



地元カンパニーに入ってよかったこと

入ってからの業務内容は冒頭に書いた通り、現在の地元カンパニーの主力事業であるカタログギフトに関わる全てのこと、プラス地元カンパニーが生き残っていくためのこと全てです。
最初は大企業でのサラリーマン生活から、創業して2年目の就業体系も何もない「ド」ベンチャーへの転職でしたので、戸惑いの連続でした。
いちばん戸惑ったのはスピード感です。
いわゆるPDCAに代表されるような、仮説を設定して実行して反芻するようなビジネスサイクルあるじゃないですか。
大きな組織では関わる人が多い分、失敗のリスクを極力減らさないといけないし、その為のチェック作業というなの会議、プレゼンが沢山あり、その会議とプレゼンの為の用意周到な資料作成、根回しなどが必要じゃないですか。
私はそういうことが必要な大きな会社にどっぷり浸かっていたのですが、そういうのが無いのです。
私が入社した時は4人+アルバイトしかいなかったので当然といえば当然なのですが、とにかくやる、やる、やる。という感じでした。
この辺のマインドセットの変革作業というか、意識改革みたいなのは1年以上かかった気がします。
学生時代も経営学を勉強していたりしたので、非常に頭でっかちなところがあったと自覚しています。
この、すぐやる、という感覚は独立した今存分に発揮しまくっており、独立してからは思い立ったら吉日とばかりに、どんどん実行しまくっています。

長期計画と目指す会社のイメージ像は明確にする

一方で、長い目でみてどこを目指すかというところは毎日言われていたように思います。
短期的には即行動ですが、その延長線上に目指すべき会社像があって、そのことは常に児玉さんから言われていたような気がします。
売上計画含めて。
今月何万円売るぞ、とか割とやってました。
ノルマではないですし、全然達成できませんでしたが…
ただその、売上が全てではなくて、そのお金の回り方が地元カンパニーという会社として正しいかどうか、という感覚の共有を日々させられていたイメージです。
とにかく零細企業は小さいチャンスを見逃したら命取りなので、全方位に網を張り巡らせて、チャンスとみたら即行動は先に書いた通りなのですが、それが目指すべき会社のイメージとあっているかどうかみたいなところは常に児玉さんから問われていました。



児玉光史という男

児玉さんと働いた人みんな同じ感想を持つと思うのですが、外から見ていると陽気で破天荒な人みたいなイメージですが、中で一緒にいると割と内向的(というか自問自答してることが多い。会社のことについて。)ですし、表現が難しくて合わせるのが大変な時があります。
頭が良過ぎて何言ってるかわからないときもありましたし、まじですごいなと思うときもありました。
社内の人と向き合うよりは、社外の人と打ち合わせしてる時の方がイキイキしてるタイプです。
(会社の代表になるような人ってみんなそうかもしれないですね)

ぜひ先に書いてくれたじんちゃん(神宮司さん)の記事(地元カンパニーを通過した人〜神宮司亜沙美さん編〜)を読んでもらいたいですが、社是的に社内で流行した、「リスクを摂る」というハタから見るとバカみたいな言葉はやはり象徴的な言葉です。
でもこれって児玉光史を体現する言葉であり、もうちょっと言葉をほぐすと

「自分がやりたいことのためなら命に危険の及ばない範囲のリスクは一切恐れない。 やると決めたら絶対やりきる。ただし命綱が切れない為の作戦は考え尽くす」

みたいな感じだと思います。
自分も独立して感じたのですが、社会的に価値のあることに対してリスクを取って行動することは応援してもらいやすく承認欲求も満たされるし生き甲斐を感じやすいです。
摂れる(あえてこう書く)リスクの大小は人によるのはもちろんのことですが、自分が健康である限りそういうマインドでありたいし、それが人として生きる価値だとすら思います。
(これは卑しい意味で言っているのではなく、真理だと感じています。何らかの理由で人生において大きなリスクをとることができず、安定的な暮らしを選択しているが、その分人生を賭して社会のためにチャレンジしている人を純粋な気持ちで応援したいという人は沢山います。その応援してくれる人の数はその人の人望、社会的な貢献度とかいろいろあると思います。)


児玉さんの場合は、究極的には自分の実家、長野県上田市武石村と児玉家のアスパラを守るためだったらなんでもやる、みたいなところだと思います。
故郷を守ると言う行為は人間の本質であり、ただ社会が多様化してきて、その本質を実現することが難しくなってきている世の中において、児玉さんの言動は日本人の魂を揺さぶるものが今も大いにあって、今も社会的な共振が続いている、という印象です。
児玉さんが、武石村のことを言わなくなったら怪しんだほうがいいでしょう。


今は地元カンパニーも長野に拠点を移し、事業も「地元のカタログギフト」に集中できる状況になりました。
会社として、就業体系もしっかりしていて、先日児玉さんから2019年度の事業計画を見せてもらったのですが、「会社みたいですね」というのが最初に発した言葉でした。
当たるかどうかもわからないカタログギフト事業が軌道にのったのはすごいことだと思いますし、自分が信用した児玉さんの発想が間違っていなくて安心した、とも言えます。

メッセージ

この記事は地元カンパニーで働いてみたい人=長野県上田市に行くが気持ちがある人、あるいは地元に戻って地元のためにがんばってみようという気持ちがある人向けに書いています。
私や先に書いたじんちゃんがいた頃とは、会社の仕組みも場所も変わっていますが、児玉さんとやりとりしている限り、地元カンパニーの根本的なアイデンティティみたないものは変わっていないと思います。
僕も今、地元と実家のためにがんばっています。
京都でもただの八百屋ではなくて、いろんなプロジェクトや企画に携わっています。
地元カンパニーを離れて4年になりますが、打ち合わせしていたり、あるいは誰かの相談にのっていたりして、自分の言動や立ち居振る舞いに「あ、これは地元カンパニーの受け売りだ」と思うことが多々あります。
それが嫌な気持ちにもなりません。
地元の為に仕事をするというのは気持ちいいです。それが自分の地元ではなく、誰か他の人の地元であっても気持ちいいです。
地元のために頑張っている人がめちゃくちゃたくさんいることに気付かされます。
これを読んでくれている方はきっと今一歩を踏み出すかどうか迷っている方だと思いますが、一歩踏み出した先には同じように悩み抜いた人ばかりです。
その一歩が地元カンパニーの方に向くかどうかはわかりませんが、行く先が地元の方に向く同志が増えれば嬉しいです。


いつか、セガレセガールと地元カンパニーを通過した人で同窓会的なことをしたいですね〜。夢です。
セガレセガールと地元カンパニーを踏み台にした人は野心があるから本当におもしろいです。
その時この記事を読んでくれた人とお会いできることを楽しみにしています。

地元カンパニーの採用情報
https://www.jimo.co.jp/recruit/top/

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