地元カンパニーを経由した人〜神宮司亜沙美さん編〜

求人






みなさん、はじめまして。
北海道・大樹町で暮らしています、神宮司と申します!
地元カンパニーの採用支援ということで、元社員だった私の経験談をご紹介します。

<プロフィール>
1985年北海道・大樹町の牧場生まれ。大企業でのシステム開発職を経て、(たしか)2013年に地元カンパニーに入社。2015年に念願の北海道に夫と子供と一緒にUターンし、大樹町地域おこし協力隊に着任。2017年に(株)キタテラスを創業し、自社オンラインショップを運営する他、企業の情報発信のサポートを行っている。


<私と地元カンパニーの出会い>
お互いに首都圏の企業で働く夫と私が結婚したのが2012年のこと。その頃、30歳前後の同世代の同僚たちは結婚や出産を機に、マンションを購入したりしていました。山梨出身の夫と北海道出身の私。結婚するときには特に意識していませんでしたが、その頃はじめて、『この先の暮らしをどこでつくっていくか』ということを、2人で真剣に考え始めたのです。

お互いに地方出身だった私たちは、『東京ではないどこかへ』という意見は一致。自然とどちらかの地元を選択肢にはいり、自然豊かで牧場を営む両親がいる環境で子育てができたらと、私の地元の北海道で暮らすことを考えるようになりました。

さて・・・

夫に言うと怒られるのですが、システムエンジニアだった夫の仕事は心配していませんでした。今でもエンジニアは不足しているし、リモートでもできる仕事だったので、なんとでもなるかと。

問題は私の仕事のほう。地方の中小企業で女性が育児休業を取得して働ける環境など限られています。Uターンするからには、就職ではない選択肢を考える必要がありました。その調査も兼ねて、東京にいながらも地方に関われる仕事に転職をしよう、と思い求人を探し始めたのです。

『地元カンパニー』という、地元を意識する人なら一度聞いたら忘れられない名前にWantedlyで出会い、さっそく「話が聞きたい」ボタンをポチリ。すぐに児玉さんから「会いましょう!」という返事がきたのを覚えています。

その時、ろくにWantedlyのプロフィールも設定していなかったのに、児玉さんから後から聞いた話では、「北海道出身、高専卒業という理由だけで会った」ということでした。(でも採用側は大変なので、やっぱりプロフィールはちゃんと入力したほうがいいと思います・・・)

その後の面接も、私の前職のことにはほとんど触れずに話が進み、晴れて採用していただいた後に「そういえば前職では何を?」と児玉さんに聞かれる始末。聞けば『北海道の牧場育ち』という理由だけで採用したとのことでした。

きっと今はもうちょっとちゃんと面接してるはず・・・(ですよね?児玉さん・・・?)


<なんでもやる精神と、強みや価値を見出すこと>
「地元カンパニーで何が得られたか?」と聞かれたら、この2つでしょうか。

私が入社した当時は、社員2名から4名に増員するようなタイミング。創業期の「なんでもやらなければいけない状態」に入社できたことはとても大きな経験でした。今でこそ地元カンパニーは、地域のカタログギフト事業を確立していますが、当時はそれ以外の取り組みで会社を支えていたこともあり、マルシェで野菜を売ったり、700人規模の移住促進イベントを開催したり、畑で田植えをしたりしていました。

前職の大企業時代とは違い、仕事と遊びの境目がなく、メンバーもそれを楽しむような人たちだったので、先は見えないながらも楽しく過ごしていました。

雑談していたら突然、戦略会議みたいなものに突入することも多々あり、その中で私の人生の大きなターニングポイントとなる出来事が生まれたのです。

『じんちゃんの、これ売れるかな?』シリーズは、地方のパートナーに地元カンパニーという存在を見てもらうために、おもしろいことをしよう!という目的ではじまった取り組み。どこの地方にでもありそうなものを都会で売ってみたらどうなるか?というのを私が体当たりでレポートし、地元カンパニーのWeb上で公開していました。

【砂鉄、売れるかな?】
鎌倉の海で拾ってきた砂鉄を売ってみた編
https://www.jimo.co.jp/blog/member-blog/5770/


【流木、売ってみた】
こちらも鎌倉で拾ってきた流木を売ってみた編
https://www.jimo.co.jp/blog/member-blog/6784/



これが、とても好評で。地元カンパニーでもしばらく閲覧上位の記事でした。

なによりも、この体験を通して、商売とは自分が生み出した価値に他人が共感し成り立つものという基本的な感覚を私自身にインストールできたこと。タダで拾ってきた砂鉄や流木がお金になるという体験を経て、何を価値と思うかはお客様次第ということと、その価値や可能性を見出すまでには、やってみることが大切なのだということを学びました。

「Uターンして仕事はあるだろうか?」と不安だった私に、「なんだってできる」という自信を得られたことが、地元カンパニーでの一番の収穫でした。


<今やっていること>

いま、Uターンして4年が経ちますが、仕事は何をしているのかというと、メインの仕事は地元企業の情報発信のサポート(WebやSNSを活用した継続的なファンづくりのお手伝い)と、大樹町の教育機関と地域をつなぐ地域コーディネーターをしています。

あとは夫婦で自宅の隣の部屋を民泊として貸し出すこともしています。
HOUSE MOEWA



今でこそ、地元で私が強みを生かして仕事できる領域が見えてきましたが、地域おこし協力隊時代は、本当にいろんなことにチャレンジしました。

マガジンを作ってみたりDIYで空き家をリノベしてみたり・・・。そのうちいくつかの仕事が残り、協力隊終了後もなんとか仕事をつくることができています。地元カンパニーで砂鉄や流木を売ってみた経験がなかったら、もっと大企業で働いていた時代を引きずって、斜に構えて、トライの数も少なかったような気がします。

会社の名前も通じず、リソースもお金もない地方で、どうやって生きていくのか。正解のない道を、やってみては検証し、可能性があるものを見定めていく。そして仕事になるまで泥臭く進んでいく。そんな精神は地元カンパニーにいたからこそ身についたものだったと思います。


<児玉光史とはどういう人か?>

児玉さんは、ベンチャー企業の社長ではありますが、けしてスマートなタイプではありません。世に言うビジョナリーで、リーダーシップがあるような社長かと言われるとちょっと違います。バリバリの営業マンで、たぶん今でも前線で営業している時が、一番輝いているんじゃないかと思います。戦略的に物事を進めるよりも、キャラクターと人望で周囲を巻き込む人です。

そんな感じなので、児玉さんと一緒にいても、正解は与えてはもらえません。児玉さん自身も全身全霊で悩みながら進んでいるので、よくも悪くも「私も頑張って自分で答え見つけなくちゃ」と思わざるを得ない感じです。

ただ、今になって思うのは、自分の地元に帰ってからは「正解」や「先生」は存在しなくて、けっきょくは手探りでも悩みながらでも、自分の足で一歩一歩進んでいくしかないということ。地元に帰る前にそういう環境に身を置けたことは、心からよかったと思います。

それと、児玉さんは社員の可能性を見つけることは、いつも一生懸命一緒に考えてくれます。そして、可能な限りその可能性を試す機会も与えてくれました。もちろん、カタログギフトという主力事業が確立された今、創業期よりも自由度はもしかしたら低いかもしれません。それでも、自分に対して一緒に考えるという時間を割いてくれるというのは、とてもありがたいことでした。


<最後にメッセージ>

都会から地元・北海道にUターンして4年が経ちました。最初は派手でわかりやすい取り組みをやってみたりしましたが、どれも最終的には残りませんでした。

『強さをだす』という都会的な勝ち方が、地方では本質的じゃないケースってけっこうあります。

今あるリソースで、どう続けていくか。長期的な価値をどう生み出していくか。

もし今、将来地元に帰って活躍したいと思う人がいたら、都会とは違う戦い方や地方の雰囲気を知ることはとても大事だと思います。

長野県上田市に拠点を置き、全国の生産者や地域プレイヤーと関わりながら事業展開している地元カンパニーで、その経験を積むことは悪くないと思います。少なくとも、私にとっては人生の中で、とても大きな経験でした。

そしてそれは当時よりも、地元に帰った今になって、何度も何度も、地元カンパニーで経験したこと、児玉さんからかけられた言葉を思い出しては噛み締めています。(1つあげるとすれば「リスクを摂れ!」です。)

迷ってるなら、飛び込んでみては!
きっと、なんだってできるって思えるようになるはずです。



地元カンパニーの採用情報
https://www.jimo.co.jp/recruit/top/


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