Interview

インタビュー

実験を繰り返しながら、
「地元」からよりよい世界をつくっていく

代表取締役社長 | 児玉 光史

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実験を繰り返しながら、
「地元」からよりよい世界をつくっていく

代表取締役社長 | 児玉 光史

Profile

代表取締役 児玉 光史
長野県上田市のアスパラ農家に生まれる。東京大学農学部を卒業(在学中には東京六大学野球でホームラン王を獲得)。株式会社電通総研にてシステムコンサルタントとして活躍。退職後、都内での実家のアスパラの販売や、自身の結婚式の引き出物として「地域産品のカタログギフト」を開発した経験をもとに、地域産品の新たな流通を創出するため、2012年に株式会社地元カンパニーを設立。

社会を変える仮説に取り組む急先鋒に。
東大在学時に決意した決意。

これまでの経歴について教えてください。

児玉:もともと出身は、上田市の中山間地にある旧・武石村。そこから、東京大学に進学しました。当時の東大は特に官僚志望が多くて。私の時代は半数近くが官僚志望だったんじゃないかなぁ。就職先というと「どこの企業なのか」ではなく「官僚なのか、民間なのか」という会話になるくらいでした。

その中で官僚ではなく、民間企業への就職を選ばれた。

児玉:そうですね。法律をつくったり、運用したりする官僚って、新しいことをやりにくそうだなぁと思ったんです。だって「奇を衒った法律をつくってみよう!」なんてできないじゃないですか。
ただ、「国をよりよくしたい」と考える人が多い環境で学んでいたので、自然と私も国レベルで貢献したいと思うように。そこで「自分は社会実験をする急先鋒として日本に貢献していこう」と決めたんです。どう転ぶかわからないけれど、社会を変える可能性のある仮説に先んじて取り組む役目を、自分が担おうと思ったんですよね。

児玉 光史 1枚目

自分のアイデンティティを探して
辿り着いた「地元」という存在

大学卒業後は、どのようなキャリアを選んだのでしょうか?

児玉:真っ先に内定をくれた電通総研(旧・電通国際情報サービス)に新卒入社。そこでシステムセールスとして営業に奔走しました。4年ほど働いたあと、帰省のたびに、どんどん元気がなくなっていく地元を目の当たりにして独立。フリーランスやこぢんまりとした企業よりも、価値を蓄積して次世代に残せる“器”をつくろうと思い、2012年に株式会社地元カンパニーを設立しました。

「国レベルで貢献したい」という思いがありつつ、あえて「地元」にこだわった社名をつけたんですね。

児玉:地方で生まれ育っていることが、自分の“売り”の一つだと思えたんです。

と、いいますと?

児玉:東京に進学して以降、ずっと“田舎者”である自分に引け目を感じていたんですよね。在学中は東京六大学野球でホームラン王になるなど野球で活躍していたけれど、引退すると打ち込むものがなくなり、自分の存在価値がわからなくなって。就職後も、得意なものも、好きなものもない、長野の山から下りてきた、でくのぼうが東京にいるだけだと感じていた。でも、会社をやめて、都内で実家のアスパラを手売りしているときに「地方の農家に生まれ育ったからこそ見えているものがあるんじゃないか」と思ったんです。
日本全体を見渡せば、“地方の寄せ集め”とも言えます。全ての地域は、誰かの地元。会社でつくった取り組みが、他の“地元”にも広がっていけばいいなぁと思い、地元カンパニーという社名をつけました。あと、わかりやすい響きもいいですしね。略して「ジモカン」ってよくないですか。

児玉 光史 2枚目

カタログギフトの会社から、
ローカルプロダクトの流通DXの会社へ

地元カンパニーを設立してからは、いかがでしたか?

児玉:自分の結婚式の引出物でつくったオリジナルのカタログギフトが好評だったことから、地域産品を集めたカタログギフトを「地元のギフト」として事業化することに。途中Webの受託制作や融資でつないでいた時期やコロナ禍での打撃もありましたが、いくつもの危機を乗り越え事業は拡大。創業10年目には売上は2億円を超え、「待てる世界」などの理念も制定しました。2025年からは自社開発のシステムを活かした「ローカルプロダクトの流通DX」へと事業を発展させ、2025年度には年商48億円を、その先には上場を目指しています。

児玉さんから見た地元カンパニーは、どんな組織ですか?

児玉:私の自由を許してくれる組織だなと思います。社員はみんな私のことをいい意味で放っておいてくれるというか、期待しすぎないでいてくれるというか、自分たちがしっかりしなければいけないと思ってくれているというか。自分で考えて、動いて、かたちにしてくれる。私ができるのは、そんな会社に居続けたいと思ってもらえるために、社員の幸せに紐付くような環境をつくること。これまで残業を禁止したり、報酬アップの交渉ができるようにしたりと制度を考えました。社員にとって、地元カンパニーが楽しく働ける場になっていたらいいなと思いますね。

児玉 光史 3枚目 児玉 光史 4枚目

地元カンパニーでつくりたい未来

地元カンパニーで、どんな未来をつくりたいですか?

児玉:理想の状態を探りながら、常にプロトタイプをつくっていたいですね。それがサービスなのか、組織なのか、わからないけれど、実験を繰り返しながらいつも何かをつくっている。そんな人間でいようと思っています。決められた理想の状態に辿り着くために実験を繰り返すというよりは、「果たして、それが理想の状態なのか」という問題自体を疑いながら、問いを設定し直し、解き続けていたい。
子どもの頃は周りに何もなくて暇だったから、考えごとをしたり、自分で遊びを編み出したりしていました。そのときと同じことを、会社でもやり続けるんだろうなと思います。

児玉 光史 5枚目
児玉 光史 6枚目

ドラムも、ラップも、まずはやってみる。

プライベートでは、ドラムを叩いたり、ラップをしたり。ドラム教室に通っている息子が発表会に出たがらなかったので、私だけ発表会に出てドラムを叩いたこともありました。あと、ラップは経営者の悩みとか葛藤をある種アートとして吐き出せるのがいいですよね。上田市のラップバトルにも出場したことがあります。